futurism

大津綾香に感じる違和感の正体

拗れまくった政治家女子48党の党首問題の渦中にいる大津綾香氏。
同氏の発言に触れたときに感じる違和感の正体について考えてみた。結論から言うと、政治家が本来持つべき「品性」が欠如しているにもかかわらず、意に介さずに活動を続けることに対する不気味さだと思う。例えば、政党口座の凍結問題により従業員の給料が支払われずにいる。また、立花氏に対する私怨を公言して憚らない。
いわゆる分別のある「大人」であれば人前で私怨を口にすることは有り得ないだろうし、従業員を困難に陥らせるような事はしないだろうと思う。

更に言うと、そういう人物が公党の党首になってしまう時代の恐ろしさもある。
どんなあくどい政治家でも、品性の無さを露呈させることは極力避けてきた。
どうやら、政治は国の将来を議論する場ではなく、茶番劇を楽しむ場になってしまったようである。

同じ違和感を三浦瑠璃氏にも感じるのだが、こちらは分らない事やグレーな部分が多すぎるので、上手くやっているなと言う程度に抑えておこう。。。

いずれにせよ、品性に欠ける人物に国の将来を託す気にはなれないし、発する言説を真に受ける気にはならない。

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